アルゼンチン統計局(INDEC)が6月11日に発表した5月の消費者物価指数は、前月比2.1%の上昇でした。4月の2.6%からさらに鈍化し、市場予想をも下回る、8ヶ月ぶり(前年8月以来)の低い数字です。前年同月比でみると33.2%とまだ高水準ですが、2023年末に211%へと駆け上がったあのインフレとは、別の国の数字のようにも見えます。ミレイ政権が「ショック療法で財政を立て直す」と宣言して18ヶ月、主要な経済指標は確かに動きました。ただし、その回復の足場がどれほど頑丈なのかという問いは、別に残ります。
数字が語る安定化の軌跡
INDECの発表によれば、2025年の実質GDP成長率は4.4%。財政面では対GDP比1.4%の基礎的(プライマリー)黒字を確保し、これで2008年以来となる2年連続の財政黒字を達成しました。ワカ・ムエルタのシェール開発が牽引役となり、アルゼンチンの原油生産は日量84万バレルを超える過去最高水準に達して、同国はエネルギーの純輸出国へと回り始めています。2025年下半期の貧困率は28.2%で、2018年以来の低さでした。
インフレの急減速について、IMFは安定化の進展を評価しています。ミレイが就任時に「廃止する」と公約した中央銀行は存続していますが、通貨ペソはより柔軟な為替バンド(管理変動)制へ移行し、対ドルでの急落はいまのところ避けられています。
V字回復に潜む構造的リスク
月次インフレが2%台に落ちたのは確かな前進です。ただ、月に2%ということは、それが続けば年率では依然25〜30%圏に残るということでもあります。月次2%台でも年間では30%超という、この「高止まり」の感覚こそ難所です。中南米の隣国と比べれば、なお突出して高い水準にあります。
より根本的な課題は、2026年に積み上がった対外債務の返済です。政府はこの1年だけで200億ドルを超える償還に向き合うとされ、その資金繰りはIMFや米国の支援、民間借り換えに大きく依存します。返済を支える輸出収入(主柱は農産物と石油)が、世界の商品価格や干ばつリスク次第で揺らげば、安定の前提も揺らぎます。
そして財政支出の圧縮は、年金受給者や公共サービスの利用者に重くのしかかります。アルゼンチン・カトリック大学(UCA)は、貧困率改善の多くがインフレ鈍化による統計上の効果で、所得そのものの増加とは限らないと指摘しています。経済指標の改善とは別の場所で社会的な亀裂が広がっている、という批判も絶えません。
南米で比較される「ミレイ・モデル」
アルゼンチンの経験は、周辺国から複雑な視線で見られています。チリ、コロンビア、ブラジルの左派・中道政権は、緊縮一辺倒のアプローチが社会に何を代償として求めるのかを注視してきました。一方で、6月21日の決選投票を制したコロンビアの次期大統領アベラルド・デ・ラ・エスプリエラ氏は、国家の規模を最大4割縮小すると公約に掲げており、アルゼンチンの実績が議論の参照点になる場面は増えそうです。
もっとも、ミレイ政権2年目の数字が「成功モデル」として輸出できるものになるかは、これから1〜2年の耐久性にかかっています。
筆者の視点
僕が気になるのは、「数字は良くなった」という一文の重さです。前月比2.1%、GDP4.4%、貧困率28.2%——どれも単体では明るい数字ですが、月に2%が積み重なれば年に30%を超えるという現実は変わりません。年率30%台というのは、かつてのアルゼンチンが「安定」と呼んでいた水準でもあります。基準点がどこにあるのかで、同じ数字はまるで違って見えます。
それでも、財政黒字とエネルギー輸出という構造的な変化が同時に進んでいる点は、過去の短命な安定とは少し違う匂いがします。問題は、その配当が年金生活者や働き手にどこまで届くのか。華やかな見出しの先にある、痛みを引き受けている人たちの暮らしまで、追いかけて見届けたいと思います。
用語メモ
基礎的財政収支(プライマリーバランス)とは、利払いを除いた歳入と歳出の差のことです。これが黒字なら、借金の利息を別にすれば国の家計がプラスで回っている、という意味になります。ワカ・ムエルタ(Vaca Muerta、スペイン語で「死んだ雌牛」)は、アルゼンチン中西部に広がる世界有数のシェールオイル・ガスの鉱床で、近年の同国経済を支える主役の一つです。
年率30%台のインフレは、かつてのアルゼンチンが「安定」と呼んだ水準でもある——同じ数字も、基準点しだいでまるで違って見えます。
📚 もっと深く知る|関連書籍
このテーマをさらに掘り下げたい人へ。Amazonで関連書籍を探せます。
関連書籍を探す(Amazon)→本記事はAmazonアソシエイトリンクを含みます。詳細はプライバシーポリシーをご覧ください。
参考リンク
- Bloomberg: アルゼンチンのインフレが8ヶ月ぶり低水準、ミレイに追い風 — bloomberg.com
- Buenos Aires Herald: 5月のインフレは2.1%、8月以来の低さ — buenosairesherald.com
- Atlantic Council: アルゼンチン回復への長い道のりの一里塚 — atlanticcouncil.org
- Buenos Aires Herald: 2025年は対GDP比1.4%の財政黒字 — buenosairesherald.com
- Rio Times: アルゼンチン経済2026——成長4.4%、インフレ抑制 — riotimesonline.com
- PIIE: 脆弱なアルゼンチンの通貨枠組みが再び変動リスクを抱える — piie.com
- Al Jazeera: コロンビア大統領選でデ・ラ・エスプリエラ氏が勝利 — aljazeera.com
※ 本記事は公開情報をもとにした筆者の解説・私見です。最新の数字・日程・手続きは各国政府や一次情報でご確認ください。引用は最小限とし、出典を明記しています。