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2025年4月27日。大川小学校を後にして、僕はXSR900で松島へ向かった。その日の朝に門脇小学校、昼に大川。どちらも、津波の記憶が深く刻まれた場所だった。同じ宮城の海ぞいを、夕方、最後にもう一か所だけ走る。日本三景のひとつ、松島へ。

松島が「日本三景」と呼ばれるようになったのは、江戸時代のこと。天橋立、宮島と並ぶ三つの絶景のひとつとして、古くから歌や紀行文に書き残されてきた。松尾芭蕉も『おくのほそ道』の旅で、この湾に立ち寄っている。——そんな由緒は、正直、ここまで走ってきた僕の頭にはほとんどなかった。それでも、湾に着いて海を見たとき、ああ、これは誰かがわざわざ書き残したくなる景色だ、とは思った。穏やかな水の上に、松をのせた島が、いくつも浮かんでいる。

松島湾には、大小あわせて260ほどの島が浮かんでいる。湾に着いて、まず福浦島へ渡る朱塗りの橋——福浦橋——のたもとに、バイクを停めた。

松島の福浦橋を岸から眺める
福浦島へ渡る、朱塗りの福浦橋。今回は渡らず、岸から眺めた。

橋を渡るには料金がいる。弾丸の日帰りで時間も惜しかったので、今回は渡らなかった。それでも、岸から眺める朱い橋と、その向こうの島の緑だけで、じゅうぶん絵になった。橋の先の福浦島は、散策路の通った植物の島だという。歩いてまわるのは、次に来たときの楽しみに取っておく。海は、おどろくほど静かだった。

松島湾に浮かぶ島
福浦橋のたもとから見た、松島湾の島。湾の水は、鏡のように凪いでいた。

遊覧船に乗る

松島は、遊覧船で湾をめぐることができる。中央の桟橋から、島々のあいだを50分ほどかけて回るコースだ。せっかくなので、僕はそれに乗ることにした。

松島湾をめぐる遊覧船
松島湾をめぐる遊覧船。中央桟橋から、島々のあいだを一周する。

船が桟橋を離れると、すぐに島が近づいてくる。松島の島は、ひとつひとつ形がちがう。平らな頭に松を生やした島、波に削られて足もとがくびれた島、二つ寄りそった島。船内では、通りすぎる島のひとつひとつに、名前と由来の解説が流れていた。これが、よかった。ただ景色が流れていくのと、名前と物語をひとつ聞いてから見るのとでは、同じ島でも見え方がちがう。

波に削られた松島湾の岩の島
波に削られた松島の島。ひとつひとつ、形がちがう。

四月の終わりの、やわらかい光。窓の外を、島から島へ、視線が勝手に移っていく。

松島の島々は、やわらかい岩が、長い時間をかけて波と風に削られてできたものだという。足もとがくびれ、頭が平らになるのは、そのためらしい。湾の島には名のあるものが多く、船内の解説は、そのひとつひとつを拾っていく。覚えていられたのは、そのうちのいくつかだけだったけれど。

島々と、あの海

松島湾は、2011年の津波で、湾の奥の被害が三陸沿岸ほど大きくならなかったといわれる。深く入り組んだ地形と、湾にひしめく島々が、波の力をやわらげたのだと。海ぎわに建つ五大堂——伊達政宗の時代に建てられた、古いお堂だ——も、国宝の瑞巌寺も、残った。

——ただ、その島々自身は、波をかぶっている。湾の奥を守るかたちになった島の集落も、大きな被害を受けた。守る側が、無傷だったわけではない。

朝に門脇、昼に大川を見てきた目には、この穏やかな湾と島々が、ただの景勝地には見えなかった。同じ東北の海が、ある場所では町をのみ込み、ある場所では波をやわらげる。海そのものは、ひとつきりなのに。

うすく曇った空の下の松島湾の島々
遊覧の後半、空はうすく曇ってきた。それでも海は、ずっと和やかだった。

旅を終える

「和やかだなぁ」——デッキの風のなかで、僕は素直にそう思っていた。重い場所をふたつ続けて見たあとだから、その静けさが、なおさら身にしみたのかもしれない。

船を降りて、僕はそのまま帰路についた。五大堂にも瑞巌寺にも寄れず、松島の名物だという牡蠣も、また次回にとっておくことになった。弾丸の日帰りとは、だいたいそういうものだ。心残りは、次に来る理由になる。

磐梯吾妻スカイラインの雪の壁から始まって、門脇の丘、大川の校庭、そして松島の和やかな海。1泊2日の宮城は、ずいぶん遠くまで僕を連れていってくれた。東北の海は、これだけのことを、ひとつの海岸線のなかに抱えている。次は、もう少しゆっくり来ようと思う。

訪問メモ

参考リソース

今回訪れた場所

1
福浦橋(福浦島)
宮城県松島町 / 福浦島へ渡る全長約252mの朱塗りの橋。渡橋は有料。今回は岸から眺めた。
2
松島湾遊覧船(中央桟橋)
宮城県松島町 / 松島湾の島々を約50分でめぐる遊覧船。日本三景・松島の定番。船内で島ごとの解説が流れる。