メキシコシティで人類学博物館・グアナファト・テオティワカンと巡ったあと、次に向かったのがパレンケ(Palenque)だった。チアパス州のジャングルに残るマヤの古典期都市遺跡で、UNESCO 世界遺産(1987年登録)。メキシコシティから直接の陸路は遠いので、国内線でビジャエルモサ(Villahermosa)まで飛び、そこから陸路でパレンケに入った。遺跡近くの小さな町に泊まって、翌朝に遺跡へ向かった記憶がある。
標高2,200mのメキシコシティから一気に低地ジャングルに降りると、空気の質が完全に切り替わる。常時の高湿度、肌に張り付く熱気、絶え間ない鳥と虫の声——テオティワカンの乾いた高原遺跡とは対極の世界だった。
碑文の神殿——パカル王の墓を抱えた階段ピラミッド
パレンケの象徴が、入口を入ってまず正面に現れる碑文の神殿(Templo de las Inscripciones)だ。9段の基壇を積み上げた階段ピラミッドの頂上に、三つの入口を持つ神殿が乗っている。完成は7世紀末ごろとされる。
名前は、頂上神殿内部の壁面に刻まれた620文字を超えるマヤ文字の石板「碑文」に由来する。マヤ古典期の長文碑文としては最大級のひとつで、ここから刻まれた歴代王の系譜と暦が解読された。1970年代以降、リンダ・シェレ(Linda Schele)らによるパレンケ王朝史の再構築の中心資料となり、マヤ古典期研究を一気に進めた。
そしてこの神殿を世界的に有名にしたのが、1952年にメキシコの考古学者アルベルト・ルース・ルイリエル(Alberto Ruz Lhuillier)が発見した王墓だ。1949年に頂上神殿の床石に不審な穴が空いているのを見つけたルースは、その下を4年かけて発掘し続け、瓦礫で塞がれた秘密の階段を掘り下げた末、紀元683年に没した王パカル(K'inich Janaab' Pakal)の石棺に到達した。マヤ世界で初めて確認されたピラミッド内部の王墓で、「マヤのピラミッドは神殿であって墓ではない」とされていた当時の常識を覆した発見になった(出典: Wikipedia — Alberto Ruz Lhuillier)。
石棺の蓋に彫られたパカル王の浮彫は、死から再生へ向かうマヤ宇宙の構造を凝縮した代表的な図像として知られる。本物は現在 メキシコシティの国立人類学博物館 に移管されており、地下の王墓室は保存のため一般公開されていないが、神殿そのものに登っているだけで「この下にあれが眠っていた」という重さが伝わってくる。
宮殿(El Palacio)——観測塔とT字型窓
碑文の神殿の北側に広がるのが、宮殿(El Palacio)。複数の中庭を持つ大規模な複合建築で、パレンケの王族が政務と日常を営んだ場所と考えられている。
最大の特徴が、4階建ての観測塔(Torre)。マヤ建築では珍しい背の高い独立構造で、天文観測や見張りのための塔とされる。冬至の日に塔の特定の窓から見ると、太陽が碑文の神殿の方角に沈んでいくように設計されているという話もある。
宮殿の入口枠や窓には、マヤ建築特有のT字型の開口部が随所に見られる。雨と風を逃すための実用的な工夫だったとも、神聖な記号としての意味を持っていたとも言われている。
葉十字神殿群(Grupo de las Cruces)——十字の神殿と太陽の神殿
宮殿のさらに東、小川を渡って高台に上がると、葉十字神殿群(Grupo de las Cruces)が現れる。十字の神殿(Templo de la Cruz)、太陽の神殿(Templo del Sol)、葉十字の神殿(Templo de la Cruz Foliada)の3つの神殿がコの字型に並ぶ建築群で、パカル王の息子チャン・バフルム(K'inich Kan B'alam II)の即位儀礼を象徴する空間とされる。
3神殿に共通するのが、頂上神殿の屋根に乗った透かし装飾「ロフ・コーム」(roof comb)だ。建物本体より上に立ち上がる薄い壁状の構造物で、彫刻と漆喰で装飾されていた。風通しを確保しつつ建物を象徴的に高く見せる、パレンケ建築の代表的なディテールになっている。
3神殿の内陣には、それぞれ「世界樹」「太陽神」「とうもろこし神」を中心に据えた象徴的な石板が配置されており(本物の多くは博物館に移管)、合わせて読むとチャン・バフルムが神々の系譜を継承して王権を得た物語になっているという。神殿群は紀元692年に奉献されたとされ、十字の神殿の十字形の浮彫は実はマヤ宇宙論の中心をなす「世界樹」(Wakah-Chan)であって、後世のキリスト教の十字とは無関係だ。
パレンケはなぜ放棄されたのか——マヤ古典期崩壊
パレンケが歴史の表舞台にいたのは7〜8世紀の約150年間で、9世紀には急速に縮小し、10世紀までにほぼ完全に放棄される。これは「マヤ古典期崩壊」と呼ばれる現象の一部で、同じ時期にティカル・カラクムル・コパンといったマヤ低地の主要都市が次々に放棄された。
原因は単一ではなく、近年の研究では長期化した干ばつ・農地拡大に伴う森林伐採・人口圧・都市国家間の戦争激化などが複合的に作用したと考えられている(参考: Science 誌の古気候研究 (Kennett et al., 2012))。パレンケの場合、王朝の最後の確実な碑文記録は799年のもので、それ以降の記録が途絶えるまでの数世代で都市機能が失われていったことになる。
ジャングルとの一体化
パレンケ最大の魅力は、建造物そのものよりも「ジャングルが遺跡を呑み込む途中で、たまたま動きが止まっている」感覚かもしれない。テオティワカンの乾いた石とは違い、パレンケの石は常に湿り、コケと地衣類で薄く緑がかっている。鳥と虫の声が止まることがなく、目の前の神殿の向こうにも、まだ発掘されていない丘が森に隠れたまま続いている。
実際、パレンケ遺跡として整備・公開されている範囲は都市全体のごく一部に過ぎず、登録されている建造物の数の数倍が、まだジャングルの下に眠っているとされる。歩いていても、整備された道の脇に苔むした石組みが顔を出している場所が点々とあった。
アステカ・テオティワカンを「文明の集積」として体感したあとに来ると、パレンケはむしろ「文明が忘れられていく速度」を見せてくれる場所だった。
3000年残るオルメカ巨頭やアステカの太陽の石とは違う、もっと脆くて湿っぽいものを生かしておくための保全活動の上に、パレンケは立っている。
今回訪れた場所
旅行ガイド(一般情報)
※本セクションは公開情報をもとに編集者が補足したものです。料金・運行情報など最新の状況は公式サイトでご確認ください。
アクセス
- 飛行機: メキシコシティから国内線でビジャエルモサ(VSA)約1時間20分(VivaAerobus・Volaris等)。ビジャエルモサからADOバスでパレンケの町まで約2時間
- 陸路: ビジャエルモサ・サン・クリストバル・デ・ラス・カサスから ADO 直行バスあり(夜行便も)
- 町から遺跡: パレンケの町から遺跡入口まで Colectivo(乗合タクシー)で約15分。タクシーチャーターも可
- 宿泊: パレンケ町中心部のホテル、または遺跡近くのジャングル宿(El Panchan エリア)
近隣のおすすめスポット
- ミソル・ハ滝(Cascada Misol-Ha)— 35mの滝、パレンケから車約1時間
- アグア・アスル滝(Agua Azul)— ターコイズブルーの段々滝、パレンケから車約2時間
- ヤシュチラン遺跡(Yaxchilán)— ウスマシンタ川沿いのマヤ遺跡、ボートでアクセス。日帰りツアーが定番
- ボナンパク遺跡(Bonampak)— マヤ古典期の鮮やかな壁画で有名、ヤシュチランとセットで訪問可
- パレンケ博物館(Museo de Sitio)— 遺跡入口手前、出土遺物の現地展示
参考リソース
- UNESCO World Heritage Centre — Pre-Hispanic City and National Park of Palenque
- INAH(メキシコ国立人類学歴史研究所)— Zona Arqueológica de Palenque
- Mesoweb — Palenque Resources(学術的な王朝史・碑文研究)
- Wikipedia — Alberto Ruz Lhuillier
- Encyclopædia Britannica — Mesoamerican civilization
- Science (2012) — Development and Disintegration of Maya Political Systems in Response to Climate Change
- マイケル・D・コウ『古代マヤ文明』(創元社、邦訳)— パレンケを含むマヤ古典期遺跡の研究を網羅する標準書