2015年9月25日。僕は任地サンビート(コスタリカ滞在記③)を後にして、首都サンホセ行きのバスに揺られていた。JICA青年海外協力隊としての2年間の任期が、いよいよ終わろうとしていた。
2年間で300人以上を診た。装具を自作し、村へ通い、拙いスペイン語で経過を説明し続けた日々。その最後に見た景色を、ここに残しておきたい。
「コスタリカ居るのも、残り28日です」
任期の終わりは、ある日突然やってくるわけではない。じわじわと近づいてくる。
2015年5月、活動が終盤に差し掛かったころ、僕はこんなことを書いていた。「もうそろそろこの辺で終わりで良いかな、僕にしては十分よくやった方だろう」——そんな甘い考えが頭を過ぎる。けれど、置かれた環境が惰性で過ごすことを許してくれない。最後まで環境に急かされながら、有難く過ごしていた。身を置く環境の大切さを、いちばん感じた時期だったと思う。
8月の終わりには、指折り数えるようになっていた。「コスタリカに居るのも残り28日」。帰国したら新潟でまた一人暮らしを始めるので、必要な家電を頭の中で数え始めていた。コスタリカに来て変わったことのひとつは、自宅にコーヒーメーカーが欲しいと思うようになったこと。スーツケースの半分は、お菓子と中米各国のコーヒー豆で埋まっていった。お世話になった日本の人たちに、コーヒーとド甘いお菓子を持って会いに行くために。
最後の患者さん
帰国が迫った9月、ひとりの脳卒中の患者さんの診療が、最終回を迎えた。
コスタリカの医師には優秀な人もいるけれど、その逆もまた徹底している。だから僕は、医師の診断書を十分には信頼していなかったし、むしろ「原因不明だから」と診察を頼まれることが多かった。この患者さんとご家族も、脳卒中で重い片麻痺を負ったあと、今後どんな経過をたどり、その時期その時期で何をすべきなのか、十分な道標を示されていなかった。
自宅での練習の様子や福祉用具の状況をビデオに撮ってきてもらい、運動療法の助言と、これからの経過予想、そして「今、何をしなければならないか」を説明する。初回の診療と比べて、笑顔が増えていった。最後は別れを惜しまれ、抱擁で見送られた。
他の医療従事者が説明を避けてきたことを、拙いスペイン語で説明しなければならないことも多く、嫌な思いも少なからずした。それでも、こうして最後に喜んでもらえると、「理学療法士をやってきてよかった」と思える。コスタリカの仲間たちは、そんな僕を 利他主義者(Altruista) と呼んだ。利己的な面もあるけれど、仕事の面では、そうでありたいと思っている。
任地を後にする日 — 最終報告会と、蓄膿症
9月25日、任地を発って首都に着いた。最終報告会、お別れパーティー——書いておきたいことは山ほどあった。
ただ、その1週間ほど、右のほっぺたがずっと痛かった。蓄膿症だ。病院でレントゲンを撮ってもらうと、やはりそうで、薬を処方してもらった。任期の集大成というには締まらない締めくくりだけれど、これも含めてコスタリカの2年間だった。あとはゆっくりお土産を買う時間さえあればいい、という状態だった。
La casa de rehabilitación — 2年間の総括
去る前に、活動を振り返る文章をスペイン語で残した。
診てきたのは腰痛・側弯・肩の痛みといった整形外科的な疾患が中心で、小児疾患から神経疾患まで幅広く対応した。250人以上を診たけれど、ひとりの患者さんを頻繁には診られない。月に1〜2回が限界で、だから治療の効果は長続きしにくい。1日に診られる人数にも限りがある——それが、地方のたった一人の理学療法士にできることの、正直な輪郭だった。
それでも、僕が「診療所(Casa de rehabilitación)」と呼び続けたあの場所で、できることは全部やった。理学療法という仕事の中身については、「コスタリカで理学療法士として働くということ(コスタリカ滞在記⑯)」に詳しく書いた。
帰国 — "Fue una experiencia maravillosa"
2015年10月1日、帰国した。
成田に着いて、まず食べたのは、あえての檸檬ラーメン(帰国された方には、普通の醤油か塩をお勧めします)。そしてコスタリカの仲間へ、こんなメッセージを残した。
Hola, amig@s. Ya pasaron 2 años rápidamente. Ahora estoy en mi tierra. Estoy extrañando a ustedes... Muchísimas gracias por su cooperación, su paciencia y su amabilidad en Costa Rica. Fue una experiencia maravillosa. En el futuro voy a volver a CR.
(やあ、みんな。2年はあっという間だった。今、僕は自分の国にいる。もうみんなが恋しい……。コスタリカでの協力と、忍耐と、優しさに、心から感謝します。素晴らしい経験でした。いつかまた、コスタリカに戻ります。)
コスタリカが残していったもの
新潟に戻り、雪国のためのスタッドレスタイヤを準備し、11月から病院勤務が始まった。毎日、部屋でコスタリカのコーヒーを淹れて飲んでいた。¡Muuuuuy rico! コスタリカで治療した歯は、日本の歯医者さんに「しっかり治療してある」と褒められた(ただし銀歯は、日本で作り直した。ごめん、コスタリカ)。
その年の11月、コスタリカの青年海外協力隊ボランティア50周年の記念誌に、僕の写真が載っていると教えてもらった。カメラワークまで指示した甲斐があった。
2年間の任期は終わった。でも、"また戻る"と約束した。その約束を果たすのは、それから10年後になる——「コスタリカ10年ぶり再訪(コスタリカ滞在記⑳)」へ続く。
2年はあっという間だった。それでも、去り際に交わした「また戻る」という約束だけは、10年経っても消えなかった。