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コスタリカに着任した2013年10月、僕は「Hola」と「Gracias」を言うのがやっとだった。それから1年あまりが過ぎた頃、首都サンホセの DELE 試験会場で受けた DELE B1 のオーラル試験で、僕は25点満点を取った。面接官が「Muy bien」と笑ってくれたあの瞬間は、今でも鮮明に思い出せる。

では、任期の終わり際に受けた B2 はどうだったかというと——完膚なきまでに撃沈した。そして帰国して10年経った2026年の今も、B2 リベンジは果たせていない。

これは、JICA青年海外協力隊としてコスタリカ南部の任地サンビートで過ごした2年間の、僕のスペイン語にまつわる物語だ。

英語が飛び交うサルサ教室

着任直後、JICAの現地調整による集中語学研修が3週間あった。場所は首都サンホセの語学学校。クラスメイトはアメリカやヨーロッパからの留学生が中心で、教室の共通語は英語だった。スペイン語を学ぶための学校なのに、休み時間に飛び交うのは英語。アジアから来た僕は、英語にもスペイン語にも自信がないまま、二つの言語の隙間で固まっていた。

学校が企画してくれた課外活動の中に、サルサ・メレンゲ教室があった。インストラクターはコスタリカ人、説明は英語、流れる音楽はスペイン語圏のリズム——という多重構造の中で、ステップの説明が英語で耳に入ってくる。「Step right, then turn」と言われても、足はスペイン語のリズムを追いかけたい。今思えば笑い話だが、当時は本気で混乱していた。

それでも、3週間の研修の終わりには、たどたどしいながらもスペイン語で終了プレゼンをこなせるくらいにはなっていた。何を発表したのかはもう覚えていない。ただ、聞いていた先生たちが揃って驚いた顔をしていたのは、はっきり覚えている。みんな、僕のことを「話せない人」だと思っていたらしい。

任地サンビートと、二人の先生

研修が終わって配属されたのは、パナマ国境近くのサンビート(コスタリカ滞在記③)。ここでの2年間は、英語が一切通じない世界だった。スーパーでも、病院でも、職場でも、すべてスペイン語。文字通り、生き延びるための言語になった。

任地に落ち着くと、僕は個人レッスンを受け始めた。最初はエリサ先生という、サンビートの先生との対面レッスンだった。けれど予定の合わない日が重なり、レッスンは自然とフェードアウトしていった。代わりに通い始めたのが、オンラインのスペイン語教室だ。そこで出会ったのがレイラ先生——画面越しに始まったこのレッスンが、ここから長い付き合いになる。

レッスンの中身は、文法、接続法、過去未来、語彙、スピーキング練習。決まったテキストはなく、僕が任地で書いた作文や、職場で困った会話を持ち込んで、それを題材に直してもらう形だった。

レイラ先生との作文のやり取りを重ねるうちに、僕は「DELE を受けてみようか」と思うようになった。そこからは、先生が DELE 対策の課題をいくつも出してくれた。「Mi visión del porvenir(私の将来像)」という作文も、そのひとつだ。先生の指導はスパルタというより人間的で、その人間味こそが、僕のスペイン語を肉体化させてくれたのだと思う。

ノベ族の村でのリハビリ活動(コスタリカ滞在記④)でも、診療所の同僚や患者の家族と話すのはすべてスペイン語。試験勉強というよりも、毎日の対話の中で、語彙が少しずつ自分の体に染み込んでいった。

DELE B1 合格、オーラル満点

コスタリカでの暮らしにも慣れてきた頃、僕は DELE B1 を受験することに決めた。コスタリカ国内の DELE 受験会場は首都サンホセとその近郊に置かれていて、任地サンビートからは長距離バスで片道およそ6時間。なにぶん遠いので、試験の前日にサンホセ入りして、会場の近くに宿を取った。

DELE B1 は、読解・聴解・筆記・口頭の4技能の試験だ。休憩を含めると数時間に及び、受験料も当時の僕には決して安くなかった(参考までに、DELE B1 の受験料は現在の日本でおよそ1万5千円。会場や年によって変わるので、最新は 公式 で要確認)。

試験当日、いちばん緊張したのはやはり口頭試験だった。面接官と向かい合って、提示されたトピックについて数分間話し続ける。僕はノベ族の村で出会った人々や、任地のホストファミリーの食卓(コスタリカ滞在記⑬)の話をしながら、気づけば面接官と普通に雑談していた。

後日届いた結果通知で、口頭表現が 25/25——満点だったと知ったときは、思わず一人で声を上げた。文法は完璧ではない。それでも満点が取れたのは、毎日のホストファミリーとの夕食、職場の同僚との他愛ない会話、市場のおばちゃんとのやり取り——その全部が積み上がっていたからだと思う。試験のために覚えた言葉ではなく、生活のために話した言葉が、ちゃんと点数になって返ってきた。

任期の終わりに、DELE B2 を受けて撃沈する

B1 でオーラル満点を取ったことは、僕の中に妙な自信を残していた。「あれだけ話せたのなら、B2 もいけるんじゃないか」。それからしばらくして、任期の終わりが近づいてきた頃、僕は B2 を受けに行った。今思えば、根拠の薄い自信だった。

結果から書く。撃沈だった。

読解は長文の量が B1 とは段違いで、最後の設問にたどり着く前に時間切れ。聴解は話者のスピードと語彙レベルが容赦なく、メモを取る手が追いつかない。試験会場を出たとき、僕は自分でもう分かっていた——「これは落ちた」と。

CEFR の B1 と B2 の間には、想像していたよりずっと深い谷があった。生活で身につけたスペイン語は B1 までは押し上げてくれたけれど、B2 で求められる抽象的・論理的な議論の言語は、別の訓練を要するものだった。新聞の社説を読み、論点を整理して、賛否を述べる——そんな運用は、任地の食卓では出てこない。

10年経っても、B2 リベンジは未達成

2015年9月に任期を終えて帰国してからも、レイラ先生とのオンラインレッスンは1〜2年ほど続けていた。けれど、日本でスペイン語を使う場面はほとんどない。仕事に追われ、別の研究テーマに没頭するうちに、レッスンからも自然と足が遠のいていった。2025年に10年ぶりに再訪したコスタリカ(コスタリカ滞在記⑰)でも、口は思ったほど動かなかった。

再びスペイン語に向き合うようになったのは、仕事が変わったことがきっかけだった。スペイン語を使う機会ができて、僕はまたレイラ先生のレッスンに戻った。先生は当時のまま、やることも当時のまま——作文を書いて、直してもらって、雑談で締める。違うのはペースで、サンビート時代より上げて、いまは週3回ほど受けている。それでも、日本語ばかりの毎日のなかでスペイン語を伸ばすのは、やっぱり難しい。

B2 リベンジは、まだ果たせていない。取りそびれてから、もう10年が経つ。けれど今年こそ——2026年のうちに、ちゃんと B2 を取りに行くつもりだ。あのとき最後までたどり着けなかった問題用紙を、今度は最後の設問まで読み切る。それが、いまの僕のいちばん具体的な目標だ。

試験対策の前に、まずスペイン語で話したい誰かを見つけてほしい。点数は、関係の副産物としてついてくる。

スペイン語は、人との関係の言語だった

振り返ってみると、コスタリカでの2年間、僕にとってのスペイン語は試験のための学問ではなかった。ホストファミリーの台所の言葉であり、レイラ先生との画面越しの雑談の言葉であり、ノベ族の村で子どもたちと交わした挨拶の言葉だった。DELE B1 のオーラル満点も、B2 撃沈も、その延長線上にある一つの記録に過ぎない。

もしこれからスペイン語を学ぼうとしている人がいるなら、僕の経験から言えるのはひとつだけだ。試験対策の前に、まずスペイン語で話したい誰かを見つけてほしい。点数は、関係の副産物としてついてくる。

旅行ガイド(DELE をコスタリカで受けるには)

※本セクションは公開情報をもとに編集者が補足したものです。最新は公式サイトで確認してください。

DELE 試験の基本

コスタリカ国内の受験会場

勉強リソース(実体験ベース)

参考リソース

通った語学関連スポット

1
サンホセ(DELE 試験会場のある首都)
コスタリカ・首都 / DELE B1・B2 を受験した認定試験会場のある街。任地サンビートから長距離バスで片道6時間。B1合格・B2撃沈の舞台。
2
サンビート(San Vito de Coto Brus)
コスタリカ南部、パナマ国境近くの任地 / 週1〜2回の個人レッスンを2年間継続。スペイン語が「生活の言語」になった場所。