「理学療法士」という同じ資格でも、国が違えば、その仕事の風景はまるで違う。コスタリカ南部のサンビート(コスタリカ滞在記③)で2年間働いて、僕がいちばん考えさせられたのは、装具や制度の話以上に、"理学療法という仕事そのもの"のかたちだった。
独立が許されている国
日本で働いていたころ、理学療法士はほぼ必ず病院や施設に「所属」して働く存在だった。だからコスタリカに来て驚いたのは、個人で診療所を構えている理学療法士が珍しくないことだった。
コスタリカには、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士などの独立開業を禁じる法律がない。だから個人診療所が目立つ。個人診療の相場は、当時の僕の記憶でおおよそ1時間あたり3,000〜4,000円ほど(あくまで当時の体感で、正確な料金は時期や施設で異なる)。「リハビリ=病院で受けるもの」という日本の感覚とは、出発点からして違っていた。
何を「重要」と教わるか — ものさしの違い
ある時、上司から急に「コスタリカ人の理学療法士がサンビートに研修に来たから、一緒に働いてくれないか」と頼まれた。とてもやる気のある女性の理学療法士で、彼女の志と頭の良さは、こちらの良い刺激になった。
一方で、コスタリカで理学療法を教えている大学に、どうも課題があるように感じることが増えていった。日本人の立場から「問題がある」と断言するのは憚られるので、正確に言えば——重要視しているものが、日本の教育とかなり違う、という表現になる。
たとえば、MMT(徒手筋力検査)、ROM(関節可動域)、腱反射、動作観察、介護技術、さらには血圧測定やリスク管理の考え方に至るまで、理学療法士の免許を持っている人がほとんど扱えない。彼女は「ROM なんて教科書でさらっとやっただけで、そんなに大事な検査だとは思っていなかった」と言った。
では、何を重要視しているのか。マッサージの手技や、物理療法器具の使い方だった。そして、どれだけ高価な物理療法器具を持っているかが、コスタリカのセラピストのステータスのひとつになっていた。国の状況によって「大切にされるもの」はこんなにも変わるのだと、改めて突きつけられた。
ものがない診療所で、どう働くか
教育や制度以前に、そもそもものがなかった。
先住民ノベ族の村の診療所(コスタリカ滞在記④)には、腰の高さの診療台が1台あるだけ。そこで小児のリハビリも、高齢者の腰痛も、骨折後のフォローもやる。だから現場では、あるものでなんとかする工夫が日常になる。
たとえば、原因不明の両足麻痺で、お尻の骨の出っぱりと右踵に褥瘡(床ずれ)のある患者さんのために、体圧分散クッションをほぼ無料で自作した(タイで活動されていた先輩理学療法士の情報提供による)。作成後は右足の内側へのねじれが抑えられ、踵の褥瘡を保護でき、太ももの裏で体圧を分散できるようになった。ベッドサイドには、老人ホームのスタッフ向けにポジショニング表も貼った。表を作ってからは、スタッフが協力してくれるようになったのが、何より嬉しかった。
装具がない患者さんには、市販のニーブレースに弾性包帯を組み合わせて足首を代用し、歩行練習を始めたこともある。装具そのものの話は、「いまの研究は、あの装具から始まった(コスタリカ滞在記⑧)」に詳しい。
制度の中の理学療法 — CCSS・CNREE・地方分権化
コスタリカの公的医療は CCSS(コスタリカ社会保障基金) が担い、リハビリや障害福祉は当時 CNREE が関わっていた(前述のとおり、CNREE は2015年に CONAPDIS へ改組された)。
着任した当初、僕は自分の働く地域リハビリ拠点の正式名称がうまく分からず、ずっと「Casa de rehabilitación(リハビリの家)」と呼んでいた。それから1年半ほど経つと、CNREE の説明文にも "casa de rehabilitación" という言い方が出てくるようになり、いつのまにか同僚も患者さんも、その呼び方を使うようになっていた。看板に書かれた名前ではなく、そこで実際に行われていることが、場所の呼び名を決めるのかもしれない。
地方で働いていて痛感したのは、リハビリテーション診療の地方分権化の遠さだった。首都サンホセには国立リハビリテーションセンター CENARE(コスタリカ滞在記⑪)があり、装具製作もそこに集中している。地方の患者が装具ひとつを受け取るのに8ヶ月かかる背景には、この一極集中がある。任期の後半、僕はサンビート病院の理学療法士と組んで、通常業務のあと夕方から一緒に診療するようにした。診療の効率が少しでも上がれば、地方分権化が本当に僅かでも進むかもしれない——そう思いながら。
それでも、と思えた理由
コスタリカの理学療法は、日本とはものさしが違った。教育も、制度も、設備も。「なんでこんなに志の高い人がいるのに」と思う場面も、「なぜここまで」と戸惑う場面も、どちらもあった。
けれど、やる気のある同僚に出会い、あるものでなんとかする工夫を重ね、患者さんに喜んでもらえたとき——理学療法という仕事の芯にあるものは、国が違っても同じなのだと思えた。この2年間で見た「理学療法の別のかたち」は、その後の僕の補装具・障害政策の研究の視点そのものになっている。
設備でも制度でもなく、目の前の人に何ができるかを考え続けること。理学療法の芯は、国が違っても同じだった。